きのこの山とたけのこの里を巡る長きにわたる争いの歴史。
ひだまりのねこ – 小説家になろう
私もそんな熱い戦いに身を投じてみました。
※あくまでも個人の印象です。ゆるーくお楽しみいただければ幸いです。
私は常々、たけのこが真の正義・善・moralであると信じています。きのこは邪悪で不道徳の象徴そのものです。
全てのきのこは葬り去るべきであり、私はたけのこ陣営に日々お布施を行ないきのこ撲滅運動に助力しております。
ただ、きのこを撲滅するべきなのは全人類の共通認識であるはずなのに、ときどき「きのここそが正義!」などという邪知暴虐の権化が現れます。そのときにはすぐさま改宗を求め口にたけのこを一杯頬張らせます。そうしてきのこ派がいかに間違っているのか、きのこの軸の虚無、チョコレートの平凡さ、パッケージの陰湿さを訴えます。そしてたけのこパイ生地のおいしさ、きのこよりも少ないチョコレートで包み上げる上品さ、サクサクの食感が伝わるまで食べ続けさせます。
このエッセイはそうした我々たけのこ派による活動を支援するエッセイです……と思っていましたが、まさかの最小勢力「融和派」でした。
た、たけのこときのこを同じ袋に包んでほしいって書いてある……えっ?えっ?えっ?しかもきのこ派によるジャミングでもなく元々はたけのこ派……?
たけのこときのこを混ぜるのは、まるで生クリームとイナゴを混ぜるかに匹敵するほどの冒涜的な行為であるため、同志であっても見過ごせない瑕疵です。たけのこ派がいくら慈愛に満ち溢れており、きのこの連中にも慈悲を与えたいといっても、このような行為はやめたほうが懸命です。人類にとって悪影響です。
それよりもきのこを砕いて、たけのこの形に固め直すことを推奨します。「たけのこの里と砕かれたきのこの山」なら私もギリギリ赦せますし、畜生のようなきのこも見捨てない、たけのこ派の良心も全世界に伝わることでしょう。きのこも生まれ変われて満足です。一石三鳥の手に間違いありません。
たけのこに愛あれ。
コメント